薪を背負って本を読む二宮金次郎像を、小学校の校庭などで見たことがある人がいるかもしれません。 二宮金次郎は1787年、神奈川県小田原市の裕福な農家に生まれました。 しかし災害で田畑を流され、その後次々に両親を亡くして、貧乏のどん底に落ちこみました。 弟たちと離ればなれになり、伯父に引き取られた16歳の金次郎は、この先は百姓でも知識と知恵を持たなければいけない。一生懸命働いていつか二宮家を再建してみせると固く心に誓いました。 伯父の家では日中、百姓の仕事を手伝いながら、夜中は勉強に励みました。しかし、当時は百姓には学問は必要ないという考え方が一般的でした。伯父には学問の価値を認めてもらえず、夜中勉強する為の灯りを使用することを禁じられ、学問するよりも早く立派な百姓になるようにと厳しく命令されました。 しかし一刻も早く生家の再建を果たして弟たちと一緒に暮らしたい金次郎は、灯りに使う油のお金を自分で稼げば伯父に迷惑はかけないだろうと、油の原料になる菜種の栽培を仕事の合間に行いました。 また、田植えで余って捨ててある稲の苗を拾い集め、荒れた田をおこし、そこへ植えました。わずかな菜種の種から8升の菜種油がとれ、米は一俵ほどにもなりました。これが後に「積小為大」と言われるようになるのです。 その後、18歳の時に伯父の家を出てからは、名主の家へ奉公へ出て、お金を蓄えながら生家の復興を果たし、金次郎が31歳の時には大地主となっていました。 この時の体験の中から身につけた様々な実践と経験が、後に貧しい農民を救い、600余りの町村の財政再建を成し遂げることになります。後に金次郎は一農民から幕府の役人となり、二宮尊徳と呼ばれるようになりました。 |
「徳を以て、徳に報いる」・・・これは二宮尊徳が言った言葉です。二宮尊徳の教えを「報徳」と言います。
尊徳は、世の中のすべてのものに「徳」がある、そのものに備わっている個性的な持ち前・取り柄・長所・美点・価値・効用・恵みなどを「徳」としています。その「徳」にありがたい、おかげさまでという感謝を感じ、その恩恵にお返しする・報いるということが「報徳」の教えなのです。 |
【報徳の基本理念】 ①積小為大 大事を成し遂げようと思う者は、まず小さなことを怠らず努めるがよい。それは小を積んで大となるからである。 でき難いことに頭を悩ましているが、でき易いことを努めない。それでは大きなこともできない。大は小を積んでなることを知らぬからである。 ②五常講 五常とは仁・義・礼・智・信のことで、尊徳は積小為大の実行により蓄えたお金を、多くの困った人たちにお金を貸し与える仕組みを作りました。この五常講こそ、世界の協同組合の元祖なのです。 ・仁=思いやり・・・困った人にお金を貸すこと ・義=道理・・・・・借りた金は約束通りにきちんと返す ・礼=感謝・・・・・返すにあたって利息をつけること ・智=能力・・・・・借りた金の運用すること ・信=信頼・・・・・相互に約束を守りあうこと ③天道と人道 「天道」は天地自然。天にはもともと善悪の心はなく、稲が育つのも雑草が生えるのも区別はない。天は生きている者すべてに恵みを与えて生育させる。 「人道」は人の行い。稲を作ることを善とし、雑草をはびこらすことを悪として、田から雑草を取り除き稲の生育をはかることが人道であり、天道によって荒地となった田畑を開拓するのも人道である。 ④一円融合 自分だけの立場から一方的にものを見るのではなく、対立するものも一つとして見る。人は自分の都合のよい半円の世界にとらわれ、他の半円に立つ他人の立場が見えなく、対立衝突し、論争や奪い合い、ついには鳥獣の道にまで至ることは明らかであると尊徳は言っています。 心の狭いかたくなな生活を反省し、広く柔軟な心で物事の真の姿を見分ける心を持って様々なものの両面、一円を見ることに努めるようにと説いています。 ⑤心田開発 尊徳は村々の再建復興にあたって、道路や橋、水路、排水工事などを施しますが、最も力を入れたのは村民の「心田の開発」です。 町や村が荒廃するのは、年貢を納める農民が貧しさの為に心がすさみ、やる気を無くしたからだと考え、農民の心を立て直すことが再建する鍵だと思ったのです。さらに人間社会の目標について貧富の差のない理想を目指しました。 |
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